昨日は、巣鴨にある芸大宿舎のエミリオ先生のお家でお別れパーティでした。
奥さんの美味しいスペイン料理あり、花火ありの盛りだくさんの内容で、とっても温かな素敵なパーティでした。
約二カ月の間、真摯に私達に音楽を教えて下さったエミリオ先生。膨大な知識に裏付けされた彼の音楽の解釈は、確固たる説得力とともに聴く人へ感動を与えます。
そして、いつ会ってもあふれる愛情で迎えて下さった先生の優しさを、私は忘れません。
今日は先ほどエミリオ先生に最後のレッスンをして頂き、これから久々に実家へ帰ります。ドルチ連れて。
今日は、2カ月ぶりに妹がシリコンバレーから帰ってきます。わーい!
2012/07/30
2012/07/28
スペイン。花火。
コンサートが終わりました。
1曲だけ乗り番の私は、リハーサルの時から皆さんの演奏をずっと聴かせて頂けて、とても素敵な時間を過ごさせて頂きました。
プログラムはこんな感じ。
知らない作曲家ばかり。 スペインの作曲家の作品は今まであまり聞いた事がなかったのですが、どれもかっこいい。
これから、もっとスペインの作曲家の作品を勉強していきたいなと思いました。
下は、今日の隅田川の花火大会の模様をうちのマンションの階段から携帯で撮ったもの。
動画だと遠いですが、意外と我が家からは近いんです。
あんなに明るく華やかに光っても、すぐに闇へと消えてしまう花火のはかなさは、みている人々の心に何かを訴えます。
あと少しで、7月も終わりです。
2012/07/25
アーベント終了!
2012/07/22
ボッケリーニ。ツッコミー二。
今日は、大学でエミリオ先生の装飾と、C.P.E.バッハの「多血質と憂鬱質」を考察する講座がありました。
装飾の講座の内容は、主にコレッリのソナタに装飾をつけながら一人ずつ演奏していき、先生がアドバイスをしていくという実践的なもの。
フランス的な装飾は、音どうしが滑らかにつながり、まるで蛇っぽい感じな音型なのに対し、イタリア的な装飾は、フランスに比べてもう少し離れた音程で山型に付けるといった話や、Neumannの本やquantz等、先生の用意して下さった大量の資料をもとに、歴史的演奏をする際どのように装飾をつけていけばよいのかを教わりました。どれ位つけるかのサジ加減や、どのようにオリジナリティを出していくのかなど、とても奥が深いです。ムズカシイ・・・
今は明後日にあるバロックヴァイオリン科の演奏会への勉強をしています。
今回の演奏会のテーマは、「ボッケリーニ」。
エミリオ先生はボッケリーニ研究の第一人者です。私達の演奏会で先生も一緒に共演して下さいます。楽しみ。
ヴァイオリンソナタ、ふたつのヴァイオリンとチェロの為のソナタ、カルテット、クインテット・・・等を演奏します。
ボッケリーニは、チェリスト兼コントラバス奏者の父レオポルドの5人兄弟の中の3番目の息子として産声をあげました。
兄は詩人兼舞踏家、姉はバレリーナという芸術的才能に恵まれた環境の中育った彼が、幼い頃から音楽の手ほどきを父より受け、音楽の道を目指していったのは想像に難くありません。
生まれはイタリアのルッカですが、その後様々な国へ渡り音楽を吸収したのちに、後半生をマドリードで過ごし、晩年まで作品を世におくり続けました。
同時代の作曲家であるモーツァルトやハイドンらとは一風変わった彼の独創的な作品は、今も尚ヨーロッパ音楽史上、とりわけスペインの音楽史の中でひと際輝いているように見えます。
チェリストでもあった彼は、特に室内楽の分野を得意とし、その沢山の室内楽作品は後世へ影響を与えました。
プログラムに載せるため彼の生涯を色々調べていたのですが、スペインの代表的な作曲家という割には、スペインにどっぷり漬かっていた訳ではなく、グローバルに活躍していたのだな、という印象。
年表にまとめてみました。資料が少なく、未だどこに住んでいたか定かでない時期もあるみたいなので、私の調べた内容がもし間違っていたら、どなたかご指摘いただければ幸いです。
1743.2.19ルッカ生(イタリア) 1805.5.28マドリード没(スペイン)
43年 生誕。
父より音楽の手ほどきを受ける。のちに、ルッカの楽長であり作曲家兼チェリストのヴァヌッチに師事。13歳でチェリストとしてデビュー。
57年 父レオポルドとボッケリーニは、神聖ローマ帝国の首都ウィーンへ召喚され、宮廷劇場で職を得る。
数カ月ローマの聖ピエトロ大聖堂の楽長G.B.コスタンツィに師事。
当時ウィーンに滞在していたルッカの大使の話によると、彼の宮廷での演奏は評判だった。
59年
| ルッカと父のいるウイーンを行き来する。
63年 ウィーンへ戻ってくる間にウィーンでの彼の名声は高まっていった。
64年 ルッカでの求職願が受諾される。3年間ルッカに住まう。
65年 休暇中にミラノを訪れ、この地で初めての演奏会を行う(カルテット)。
66年
| マンフレーディと演奏旅行に出かける。ルートは定かではないが、67年に到着したパリが最終目的地だった模様。
67年 パリに持参した<6曲の弦楽四重奏曲集>(61年作)、二つのヴァイオリンとチェロの為の<弦楽三重奏曲集>(60年作)が出版。
その後幾つもの弦楽のための室内楽作品が出版。
68年3月 パリのコンセール・スピリテュエルに出演。自作のチェロソナタ1番を演奏。《Mercure de France》誌では称賛される。
69年 スペイン王子ドン・ルイスへ献呈した<弦楽四重奏曲集>(69年作)が出版。別の<弦楽四重奏曲集>を「マドリードの音楽愛好家諸氏」のために作曲。交響曲(G491)を作曲。
同年11月 ドン・ルイス王子に仕える「宮廷ヴィルトゥオーゾ兼作曲家」に指名される。王子の為の作曲活動が主な仕事内容。出版の自由が与えられていた。
70年 宮廷からの要請で弦楽五重奏の作曲を始める。多数パリで出版される。
71年 クレメンティーナ・ペリーチョと結婚。
74年 スペイン駐在のプロイセン大使を通じてプロイセンの王子フリードリヒ・ヴィルヘルムと接触。
76年 ドン・ルイス王子の結婚に伴い、自分の楽団とともにアビラのラス・アレーナス宮へ移る。
85年 妻クレメンティーナ、ドン・ルイス王子相次いで亡くなる。
国王カルロス3世への嘆願の結果、俸給の半額に当たる年金を手にしたとされる。
86年 フリードリヒ・ヴィルヘルム(のちのプロイセン国王)の宮廷作曲家に指名される。
| 立て続けに数人のパトロンから援助を得る。
90年
87年 王立楽団のチェロ奏者の娘、マリーア・デル・ピラール・ホアキーナ・ポルレーティと再婚。
98年 ヴィルヘルムの没後、後継の国王に自分の雇用を願い出るが、却下される。
1800 スペイン大使として赴任してきたフランス人ボナパルトの庇護を受ける。
02年 二人の娘亡くなる。
04年 三女と妻亡くなる。
05年 没。
装飾の講座の内容は、主にコレッリのソナタに装飾をつけながら一人ずつ演奏していき、先生がアドバイスをしていくという実践的なもの。
フランス的な装飾は、音どうしが滑らかにつながり、まるで蛇っぽい感じな音型なのに対し、イタリア的な装飾は、フランスに比べてもう少し離れた音程で山型に付けるといった話や、Neumannの本やquantz等、先生の用意して下さった大量の資料をもとに、歴史的演奏をする際どのように装飾をつけていけばよいのかを教わりました。どれ位つけるかのサジ加減や、どのようにオリジナリティを出していくのかなど、とても奥が深いです。ムズカシイ・・・
今は明後日にあるバロックヴァイオリン科の演奏会への勉強をしています。
今回の演奏会のテーマは、「ボッケリーニ」。
エミリオ先生はボッケリーニ研究の第一人者です。私達の演奏会で先生も一緒に共演して下さいます。楽しみ。
ヴァイオリンソナタ、ふたつのヴァイオリンとチェロの為のソナタ、カルテット、クインテット・・・等を演奏します。
ボッケリーニは、チェリスト兼コントラバス奏者の父レオポルドの5人兄弟の中の3番目の息子として産声をあげました。
兄は詩人兼舞踏家、姉はバレリーナという芸術的才能に恵まれた環境の中育った彼が、幼い頃から音楽の手ほどきを父より受け、音楽の道を目指していったのは想像に難くありません。
生まれはイタリアのルッカですが、その後様々な国へ渡り音楽を吸収したのちに、後半生をマドリードで過ごし、晩年まで作品を世におくり続けました。
同時代の作曲家であるモーツァルトやハイドンらとは一風変わった彼の独創的な作品は、今も尚ヨーロッパ音楽史上、とりわけスペインの音楽史の中でひと際輝いているように見えます。
チェリストでもあった彼は、特に室内楽の分野を得意とし、その沢山の室内楽作品は後世へ影響を与えました。
プログラムに載せるため彼の生涯を色々調べていたのですが、スペインの代表的な作曲家という割には、スペインにどっぷり漬かっていた訳ではなく、グローバルに活躍していたのだな、という印象。
年表にまとめてみました。資料が少なく、未だどこに住んでいたか定かでない時期もあるみたいなので、私の調べた内容がもし間違っていたら、どなたかご指摘いただければ幸いです。
1743.2.19ルッカ生(イタリア) 1805.5.28マドリード没(スペイン)
43年 生誕。
父より音楽の手ほどきを受ける。のちに、ルッカの楽長であり作曲家兼チェリストのヴァヌッチに師事。13歳でチェリストとしてデビュー。
57年 父レオポルドとボッケリーニは、神聖ローマ帝国の首都ウィーンへ召喚され、宮廷劇場で職を得る。
数カ月ローマの聖ピエトロ大聖堂の楽長G.B.コスタンツィに師事。
当時ウィーンに滞在していたルッカの大使の話によると、彼の宮廷での演奏は評判だった。
59年
| ルッカと父のいるウイーンを行き来する。
63年 ウィーンへ戻ってくる間にウィーンでの彼の名声は高まっていった。
64年 ルッカでの求職願が受諾される。3年間ルッカに住まう。
65年 休暇中にミラノを訪れ、この地で初めての演奏会を行う(カルテット)。
66年
| マンフレーディと演奏旅行に出かける。ルートは定かではないが、67年に到着したパリが最終目的地だった模様。
67年 パリに持参した<6曲の弦楽四重奏曲集>(61年作)、二つのヴァイオリンとチェロの為の<弦楽三重奏曲集>(60年作)が出版。
その後幾つもの弦楽のための室内楽作品が出版。
68年3月 パリのコンセール・スピリテュエルに出演。自作のチェロソナタ1番を演奏。《Mercure de France》誌では称賛される。
69年 スペイン王子ドン・ルイスへ献呈した<弦楽四重奏曲集>(69年作)が出版。別の<弦楽四重奏曲集>を「マドリードの音楽愛好家諸氏」のために作曲。交響曲(G491)を作曲。
同年11月 ドン・ルイス王子に仕える「宮廷ヴィルトゥオーゾ兼作曲家」に指名される。王子の為の作曲活動が主な仕事内容。出版の自由が与えられていた。
70年 宮廷からの要請で弦楽五重奏の作曲を始める。多数パリで出版される。
71年 クレメンティーナ・ペリーチョと結婚。
74年 スペイン駐在のプロイセン大使を通じてプロイセンの王子フリードリヒ・ヴィルヘルムと接触。
76年 ドン・ルイス王子の結婚に伴い、自分の楽団とともにアビラのラス・アレーナス宮へ移る。
85年 妻クレメンティーナ、ドン・ルイス王子相次いで亡くなる。
国王カルロス3世への嘆願の結果、俸給の半額に当たる年金を手にしたとされる。
86年 フリードリヒ・ヴィルヘルム(のちのプロイセン国王)の宮廷作曲家に指名される。
| 立て続けに数人のパトロンから援助を得る。
90年
87年 王立楽団のチェロ奏者の娘、マリーア・デル・ピラール・ホアキーナ・ポルレーティと再婚。
98年 ヴィルヘルムの没後、後継の国王に自分の雇用を願い出るが、却下される。
1800 スペイン大使として赴任してきたフランス人ボナパルトの庇護を受ける。
02年 二人の娘亡くなる。
04年 三女と妻亡くなる。
05年 没。
2012/07/20
こんにゃく食べればー
面白かったので、買ってみました。
まさかの「こんにゃくレバ刺し」
部屋が暗ったので、写真だと分かりにくいですが、ちゃんとごま油味のタレまでついてます。
色、形は結構レバ刺しっぽい。
味は、、、こんにゃく。。
今昔ならぬ、こんにゃく物語となって、後世まで語り継がれる美味しさへはあと一歩といったトコロ。
しかし、レバ刺しの味はしないけれど、元来刺身こんにゃく好きの私は、おいしく頂きました♪ふむ。
と云う事で、これから明日の講座の勉強をします。
まさかの「こんにゃくレバ刺し」
部屋が暗ったので、写真だと分かりにくいですが、ちゃんとごま油味のタレまでついてます。
色、形は結構レバ刺しっぽい。
味は、、、こんにゃく。。
今昔ならぬ、こんにゃく物語となって、後世まで語り継がれる美味しさへはあと一歩といったトコロ。
しかし、レバ刺しの味はしないけれど、元来刺身こんにゃく好きの私は、おいしく頂きました♪ふむ。
と云う事で、これから明日の講座の勉強をします。
2012/07/19
メランコリー。
明後日のエミリオ先生のアーベントで演奏するC.P.E.bachのトリオソナタ「憂鬱質と多血質」を勉強してます。
この曲は、二本のヴァイオリンと通低の為に書かれているのですが、ヴァイオリン1は多血な人、ヴァイオリン2は憂鬱な人・・・として、それぞれ異なったキャラクターで書かれており、その対話が面白い曲です。
明後日は 、コレッリのソナタにどのような装飾をつけていったらいいか皆で考察する装飾講座もあります。楽しみ。
2012/07/18
ワクチン
おはようございます。
我が家のドルチ君。
この間、ワクチンを射ちに行ってきました。
我が家のドルチ君。
この間、ワクチンを射ちに行ってきました。
緊張・・・・
ウニャッッ!!(お尻の穴に体温計を突っ込まれる)
硬直。
お尻の穴に体温計を入れられてビビった瞬間を、タイミング良く撮る事が出来ました。笑
ドルチにとっては、ワクチンより何より、おしり体温計が怖かったみたいです。
2012/07/17
2012/07/16
ドコダ。
江古田です。
今日は、江古田で合唱のコンサートでした!
今回は、シューベルトのミサ4番とフォーレのレクイエム。
私はこの合唱団さんと共演させていただくのは今年で2回目なのですが、高橋さん兄弟を始め、皆さんとても温かい方ばかりで、素敵な合唱団です。
打ち上げも楽しかったです!また来年も参加できたらいいなぁ・・・
今日は、江古田で合唱のコンサートでした!
今回は、シューベルトのミサ4番とフォーレのレクイエム。
私はこの合唱団さんと共演させていただくのは今年で2回目なのですが、高橋さん兄弟を始め、皆さんとても温かい方ばかりで、素敵な合唱団です。
打ち上げも楽しかったです!また来年も参加できたらいいなぁ・・・
スカルラッティ
2012/07/15
ぴよ彦
おはようございます。
昨日は、明日のコンサートのリハーサルの後、友人のバロックヴァイオリニストである明香ちゃんのコンサートを聴きに行ってきました。
イタリアにゆかりのある作曲家の曲を演奏していくというコンサートでしたが、とても素晴らしかったです!真摯で温かで知的な明香ちゃんの人柄そのものが現れた様な演奏は、いつまででも聴いていたくなります。
そして、久しぶりに会えて嬉しかった。今朝にはもうアムステルダムへ向けて出発してしまうそう。また会いたいな。
帰りに本屋へ立ち寄ったら、有名な漫画「ジョジョの奇妙な冒険」の著者である荒木先生特集だったので思わず買ってしまいました。ダ・ヴィンチ。初めて買いました。
今現在出版されているジョジョリオンまで、この間一気に全て読み終えたばかりなので、ジャストタイミング。
ジョジョ、なんと25周年だそう。
さかなクンばりに、ジョジョジョ~ッッ!!!と驚いてしまいそうです。
隣の楽譜は、今日演奏するスカルラッティのアリアンナ。
今日も晴れそう。
素敵な演奏会になりますように・・・・
昨日は、明日のコンサートのリハーサルの後、友人のバロックヴァイオリニストである明香ちゃんのコンサートを聴きに行ってきました。
イタリアにゆかりのある作曲家の曲を演奏していくというコンサートでしたが、とても素晴らしかったです!真摯で温かで知的な明香ちゃんの人柄そのものが現れた様な演奏は、いつまででも聴いていたくなります。
そして、久しぶりに会えて嬉しかった。今朝にはもうアムステルダムへ向けて出発してしまうそう。また会いたいな。
帰りに本屋へ立ち寄ったら、有名な漫画「ジョジョの奇妙な冒険」の著者である荒木先生特集だったので思わず買ってしまいました。ダ・ヴィンチ。初めて買いました。
今現在出版されているジョジョリオンまで、この間一気に全て読み終えたばかりなので、ジャストタイミング。
ジョジョ、なんと25周年だそう。
さかなクンばりに、ジョジョジョ~ッッ!!!と驚いてしまいそうです。
隣の楽譜は、今日演奏するスカルラッティのアリアンナ。
今日も晴れそう。
素敵な演奏会になりますように・・・・
2012/07/14
けいおん
いまさらですが、「けいおん」の録画を観はじめています。
まだ6話くらいしかみていませんが、可愛いです。
ということで。
近々出演のコンサートをお知らせいたします。
いったん書かなくなってしまうと、筆不精になってしまい全然お知らせしなくなってしまってごめんなさい・・・・
15日
日曜コンサート
14:00-、15:00- 2回公演です。
場所は旧奏楽堂。詳細。
チェンバロのガタマリちゃん、ソプラノのねっちゃん、バロックヴァイオリンのさくらちゃんと演奏します。全てスカルラッティの作曲した曲を弾くというプログラムです。
旧奏楽堂の入場料300円で聴く事が出来ます。
16日
フォーレを歌う会 定期演奏会
よろしければおいで下さい。
なお、21日24日は大学でバロックヴァイオリンのアーベントがあります。
今日も暑そうです。
では
まだ6話くらいしかみていませんが、可愛いです。
ということで。
近々出演のコンサートをお知らせいたします。
いったん書かなくなってしまうと、筆不精になってしまい全然お知らせしなくなってしまってごめんなさい・・・・
15日
日曜コンサート
14:00-、15:00- 2回公演です。
場所は旧奏楽堂。詳細。
チェンバロのガタマリちゃん、ソプラノのねっちゃん、バロックヴァイオリンのさくらちゃんと演奏します。全てスカルラッティの作曲した曲を弾くというプログラムです。
旧奏楽堂の入場料300円で聴く事が出来ます。
16日
フォーレを歌う会 定期演奏会
よろしければおいで下さい。
なお、21日24日は大学でバロックヴァイオリンのアーベントがあります。
今日も暑そうです。
では
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