人間は、自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない。
しかしそれは考える葦である。
これを押し潰すのに宇宙全体が武装する必要はない。 一つの蒸気、一つの水滴もこれを殺すのに十分である。
しかし宇宙がこれを押し潰すとしても、そのとき人間は、人間を殺すこのものよりも、崇高であろう。
なぜなら人間は、自分の死ぬことを、それから宇宙が自分よりずっと勝っていることを知っているからである。宇宙は何も知らない。
パスカルの言葉です。
先日のモーツァルトのレクイエムの本番中も、最近観終わった「悪の華」「ぼくらの」、そして映画「宮廷ゴヤは見た」「アウトレイジ」を観ている最中も、まるで通奏低音のごとく私の頭の中でぐるぐるしていた、この一節。
葦って実際どんな草だっけ。と思い立ち、軽く調べたら、
葦(あし)という呼び名は、「悪(あ)し」を思い起こさせるので、後にヨシ(良し)に変えられました。植物分類学では「ヨシ」を標準和名としているそう。
詳細
へえ。
あえて、「アシ」の読み仮名を使っている所に、フラジャイルな何かを感じます。
人間は、自然のうちで最も弱い一本のアシにすぎない。
アシ。悪し。葦。足・・・・
偶然だか必然だか、日本語では、「アシ」という言葉にこれだけ意味があるという事は、結構面白いなと。
どうでもいい事ですが。
3:43あたりから。
アシ、アシ、アシ・・・・・